Satoshi’s story

芦田 聡(JAZZ大好き)

(1)音楽との出会い(人生振り返る)幼少、小学、中学、高校、音大、大人

幼少期(音楽に触れず)

音楽とは無縁のどこにでもいそうな少年でした。ただ引越しの回数が人より多いような気がします。幼少期から現在までは大阪(江坂)→東京(武蔵小山)→宮城(南仙台)→大阪(柏原)→大阪(久宝寺口)→大阪(野田)→大阪(蒲生四丁目)→大阪(関目)の計8回。まあ親父の仕事が忙しい感じでよく働く為色々な異動命令が出たわけですね。今思えば凄い親父だと思います。うんうん。幼少期は公園等で友達と砂山を作ったり、それを食べたり(砂を食べていた)、蛇を踏んだり、火遊びして近所の方にめちゃくちゃ怒られたりと、好奇心旺盛なのか中々の問題児というかアホであったことは間違いないですね。幼少期は音楽のおの字も出てきません。

小学生(歌)

はっきり覚えているのは、大好きな先生が音楽の先生であったこと。その先生に褒められたくて歌を大きな声で沢山歌っていたのは、はっきりと覚えています。また先生もお上手でよく褒めてくれたので調子にのって歌いまくっておりましたね。「おかしのすーきーなまほうつかい」という歌詞の歌(タイトルは謎)を今でも覚えています。この歌を歌っている時に肩に手を当て体にリズムを染み込ませてくれていたのが良かったですねー。歌好きな小学生でありました。しかし音楽関係のクラブではなく私は小学4年からバスケットボールクラブに入部します。

中学生(歌)

バスケットボールクラブに夢中になり、三井寿になるんだー、とシュートと地獄のトレーニングを3年間延々とこなしておりました。これはこれで楽しかったのですが、クラブを引退した後、クラスメイトであるK君がエレキギターを弾いておりました。K君は喧嘩も強くクラスでも仕切りやの方でした。「芦田バンドせえへん?歌えや」と言われたので嬉しく快諾致しました。もうひとりのK君(後に3年間一緒に音楽をします)ともこの時出会いました。文化祭で当時流行っていた歌を歌うと、同期からも後輩からも大盛況。卒業式にはボタンが即無くなりました。これで調子にのるわけです(音楽はモテルと勘違い)。

高校生(歌、ギター、ジャズとの出会い)

無事高校生になり、とりあえずバスケットボールクラブに入りました。同期や先輩の関係もかなり良く、しかも皆上手だったのでそれなりに刺激はありました。何となく2年までは続けていたのですが、ここで自分の人生において決定打となる出来事がありました。友達のK君の友達にお父さんがジョンコルトレーン研究家の人がいると紹介を受け、何とハウスと呼ばれる研究室にいれてもらうことになりました。そこにはサンタナと写真をとっているものや、どこぞの国のお偉い人との写真もありました。すごい資料ばかりでしたが、何とコルトレーンのCDやレコードを無償で全て貸して下さったのです。これがジャズとの出会いでした。家に帰って必死で全部聞きましたが、最初の感想は「何をしているかわからないけど、おしゃれ、かっこいい」というものでした。得体の知れない感動を胸に、その後バスケットボールクラブを辞めました。約8年のバスケットボールクラブ活動でしたが、何の後悔も無く新たに軽音楽に入部しました。ジャズをプレイする事は当然出来なかったので、とりあえず歌とギターを勉強しようと決めました。ギターの方はとりあえずファンク、歌の方はポップスに取り掛かりました。作曲も同時に習う事になり、ここで基礎的な音楽理論を勉強する事になりました。高校2年生からはかなりの時間をこれに割いて過ごしました。そして音大の入学を目指す事になるのです。

音大(歌、ギター、ベース、ドラム)

某音大のポピュラー課に入学し、毎日ひたすら音楽に触れておりました。電車での通学時間は約1時間30分でしたが、電車に乗っている時間は教科書代わりになっていた音楽の理論書を毎日ひたすら読みました。歌を歌う時間も1日に長い時で8時間程歌っており、今思えばよくやっていたなと感じております。ギターもクラッシクギター課の先生が大変お上手だったので、授業もよく見学に行っておりました。ジャズ課もありウッドベースとかを間近で見て何とカッコ良い楽器だと感動した事は今でも記憶に新しいです。ここで私は歌を中心に、ギター、ベース、ドラムまである程度プレイ出来るようになりたいと思うようになってきたのでした。この時点でアドリブ等に関する事は全く解っておりません。

ジャズバー時代(歌、ギター、ベース、ドラム、アドリブへの入口)

卒業後はプロの演奏を聴きながら仕事が出来れば一石二鳥だと、不純な動機でジャズバーの面接に行き、たまたま合格しました。お酒等全く飲めないし、実は今でも興味が無いのですが、職的にはバーテンダーになりました。料理はまぁまぁしていたのでそれは問題なかったのですが、お酒はカクテルの本とかを買って、家で練習がてら作っては当時のバンドのメンバーに飲んでもらっておりました。お客さんに飲めと言われると失礼なので飲むのですが、そんな日にはトイレで戻したりしておりました。こんな日々を繰り返しながら、プロの演奏を沢山聴く機会を得る事が出来、それはそれで満足な日々を過ごしておりました。自身でもバンド活動を続けながら、ジャズの勉強をしておりましたが、やはりその環境に行くと気づきとやらが沢山あったことは事実です。私が先ず耳を持っていかれたのはリズムでした。今まで学校教育で習っていた音楽やポップスにはない、独特のリズムのうねり的なものに心を奪われていきました。プロの方と話す機会も出来たので、演奏が終わった後に「ジャズってすごいですね。アドリブとかどのように勉強するんですか?」と聞いたところ、「会話だ」「適当に」「感覚」というお返事を頂きました。チンプンカンプンですね。当時の私の勉強不足も相まって相当敷居が高いように感じましたが、しつこさが売りの私は一念発起して、ベースを中心に勉強をはじめました。このようにベースを中心にしてジャズの勉強を始めるのですが、某音楽大学時代に初歩の音楽理論書というものを読んでいたので(これは後に相当役にたっていると感じています)、練習のポイントの様なものを掴むのは意外と早かったと思います。しかしながらアドリブは多少出来るようになっても、会話の意味が解りませんでした。解らないのでひたすらCDに合わせて演奏(何故かドラム)しているとある日何かに気がつきました(確かジャコパスのCDだったような)。どの楽器にしてもそうですが、人によって会話の仕方が違うという事です(今思うと当たり前ですね)。そして主観的ですが①全く会話がないようなジャズ②主役が話しているのをひたすら聞くようなジャズ③好き勝手に話しているようなジャズ、④すごい距離感で会話されるジャズ⑤誰かの会話に反応していくようなジャズと書ききれないぐらい様々な種類の会話のジャズがそこにはありました。こんな気付きを得られたのもジャズバーで幾度となくジャズの生演奏に触れたからに他なりません。

現職(ギターは勉強時、プレイはベースが中心になる)23~42

某センターに就職する事になり、福祉の分野で働く事になりました。今までの人生の中では中々接点の無かった方々で、自身もこの分野での勉強らしい勉強は一度も行った事はありませんでした。暗中模索しながら仕事を覚え、というよりかは作り出していきました。1年程たち利用者と言われる方の中に私の音大時代の担当教授とバンドをしていたという方が現れました。その方はサックス担当です。まさかこんな出会いがあるのかと感動し、その方とまずジャズミュージシャンで誰が好きかとか、どんな音楽経歴なのかとかを沢山話をさせて頂きました。ある程度した頃「じゃあセッションでもしようか」という流れに自然となり、ベースとサックスでセッションしておりました。当時の私は25歳程度だったと思います。この時は私の仕事内容は利用者の方と外出、料理、音楽(セッションをする)、総務という仕事内容でございました。多少の変化はあるもののこの状態が現在でも続いています(全体的に仕事量が増加)。この恵まれた環境の元、ジャズを中心とした練習により没頭する事になります。真似をしてはいけないとは思いますが、当時の私は3時間~5時間程の睡眠で、起きたら練習をするという事を25歳~35歳くらいまでは続けていたと思います(苦情が来ない家でした)。就職をするとどうしても時間がないので、睡眠を削るしかないと判断してそうしておりました。この練習を行った事で、綺麗ではないですが速弾きと呼ばれるものに抵抗が無くなりました(難しい運指は除く)。

こんな感じでたまたま現在でも音楽活動は続けられている訳です。今後も勉強を続けてより良い音楽が出来るようになっていければと思います。楽しいよー(^^♪